【車いすのダイバー】見る力は視力だけで決まらない。見ようとする意欲と見せる方法によって見る可能性が限りなく広がる
寝たきりゼロの老後をすごす方法/その弐
■なぜマクロの世界が見えるようになったか
今まで私はダイビングをしてきて、海底の景色を見たり、大物を見たりすることはできても、いわゆる「マクロの世界」は見ることができないと思っていた。ところが今回、単に「見る」だけではなくて、写真も「撮る」ことができるようになった。どうしてできたのか、私なりに考えてみました。
① 長い準備期間があった
私と700本中350本以上、一緒に海に潜ってくれた「大井手さん」というインストラクターがいる。彼女は私がダイビングを続けることを様々な形でサポートしてくれたのだが、海の中では大物だけでなくて、小動物にもとても詳しい。
また見ようとする、あるいは見せようとする意欲が満々で、私は、彼女の世界に強く惹かれた。
「そんなに面白いなら見てみたい」と思っていた。
これは後から聞いたのだが、
「時間をかけてゆっくり見せれば、この人ちゃんと見えるみたい」と、大井手さんも思っていたようで、私に海の生き物を見せることを諦めたことはなかったようだ。
こうして「どうせ見えないから海の生き物は嫌い」といっていた私が、実はどんどん海の生き物に、好奇心を持つようになって行ったのだと思う。
「見よう」「見たい」という意欲が、ものを見るための第一条件だろう。私の中で、徐々にそれが育っていった。
それと、海に潜って25年、どこに何がいるのか、今みんな何を見ようとしているのかという知識の蓄積も、私が海の生き物を「見ることができるようになる」ための大事な要素だった。
② シミランクルーズでの好条件
今回のクルーズではスタッフの方がとても気を使ってくれて、私にほぼマンツーマンのガイドをつけて下さった。
そのガイドさんは、潜る前に私に「何が見たいですか」と聞いてくれるので、私もつい調子に乗って、
「無理かもしれないけれど、ガーデンイールが見たい」とか、
「オーロラシュリンプボビー(ハゼの一種)が見たい、ジョーフィッシュが見たい」などと言ってみた。
シミランのポイントを熟知していてサービス精神豊かなガイドさんは、私のために海の生き物を見つけて、私のペースで見えるまで時間をかけて、じっくりと見せてくれた。
例えば「ウミウシ」は、細い角を出したり引っ込めたりしながら、砂の上をそれこそカタツムリのようにゆっくりと移動するのだが、私が角の存在や、移動していることが見分けられるまで、とにかく根気よく身振り手振りで説明してくれた。
生物は大きな人間の群れが近づけば、身の危険を感じて隠れてしまう。集団で近づいたら見える距離に行く前に、みんないなくなってしまうけれど、マンツーマンならそれも防げるのだ。
「そうか。視覚障害児を教育するときに、マンツーマンや少人数でするというのは、その子のペースで見せるためなんだ」
シミランの素敵な海で、わくわくしながらマクロの世界を堪能している私の脳裏に、そんな考えが浮かんで、妙に納得してしまった。
③ 光学機器の進歩
ビデオカメラやデジタルカメラがとにかく途方もなく進歩して、私が見ることをサポートしてくれる。
今回も「スパゲッティーイール」は、実は生の私の眼では見えなかった。持っていた水中カメラをズームにして、それで見て確認できたのである。この生物は砂とほとんど代わらない色をしているのでコントラストも悪い。ちょっと前なら、このような被写体にはピントが合わなかったのに、今なら合うように進化している。
光学機器の進歩は、これからも私の「見る」力をどんどん伸ばす気がしている。
見ることに興味を持ち続け、見ることを諦めず、そして「見せることを諦めない」人たちに出会えば、見えにくくて困っている人(ロービジョンの人)もきっと色々なものが見えるようになるし、可能性は無限に広がるのではないかと思った。
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著書・執筆紹介
●日本心理学会 「心理学ワールド60号」 2013年 特集「幸福感-次のステージ」
「見ようとする意欲と見る能力を格段に高めるタブレット PC の可能性」
●医学書院 「公衆衛生81巻5号-眼の健康とQOL」 2017年5月発行 視覚障害リハビリテーションの普及
● 現代書棒 「季刊福祉労働」 139号から142号
2013年 「インターチェンジ」にロービジョンケアについてのコラム執筆 142号
● 一橋出版 介護福祉ハンドブック17「視覚障害者の自立と援助」
1995年発行